理化学研究所

元素発見の歴史〜発見から命名に至るまで〜

  • 各国の国旗
元素周期表

周期表にはこれまでの元素発見国を記した。113番元素発見以前は全て欧米諸国で埋め尽くされている。発見国には諸説ある元素もあり、あくまで仁科センター調べです。
※出典
・「イラスト図解 元素」監修;羽場宏光(日東書院)

元素は「見つける」から「作る」へ

元素周期表

四大元素
左から順に地、水、空気、火を表している。かつてはこれらを元素とする思想もあった。
Daniel Stolz von Stolzenberg(1600-1660)の著書Viridarium chymicum (1624) より

「万物は、その根源をなす不可欠な究極的要素からなる」*(広辞苑 第五版)という考えは古代からの自然観であり、その究極的要素の探究は科学の起源の一つです。そしてこの「究極的要素」を元素と呼びました。その元素が「それ以上分けることができない物質」として定義されたのは18世紀になってからです。実はその時点までに炭素、金、硫黄、鉄など10種類以上の元素は既に知られていました。19世紀になると「物質を構成する最小の粒子」を原子とする概念が広く支持されるようになり、元素の物質的正体は原子とされ、元素は「原子の化学的性質を表す概念」または「同じ陽子数を持つ原子の総称」となりました。なお、現在では、原子よりさらに小さい素粒子が「物質を構成する最小の粒子」であることが明らかになっています。

1869年、ロシアのメンデレーエフが提唱した「元素周期表」は鉛(Pb 原子番号 82)まで、そして1871年に発表した第二周期表には既に天然で最も重いウラン(U 原子番号92)がありましたが、まだまだ空欄が残っていました。その空欄は徐々に減りましたが、その全てを埋めるには1930年代の加速器の登場を待つ必要がありました。そして加速器の登場はウランより重い元素(超ウラン元素)を人工的に作り出すことも可能にしたのです。1940年に米国のエドウィン・マクミランらによってネプツニウム(Np 原子番号 93)が作られると、米国で次々と超ウラン元素が作り出され、それらの功績によりマクミランとシーボーグは1951年にノーベル化学賞(超ウラン元素の発見)を受賞しました。1958年にアメリカでノーベリウム(No 原子番号102)が作られると、その後はソ連(ロシア)、ドイツ、そして日本がこの競争に参入、最近ではロシアと米国の共同研究グループが発見した114番、116番元素に、それぞれフレロビウム(Fl)、リバモリウム(Lv)という名前がつきました。

かつて日本でも元素を発見、そして命名した!?

小川 正孝

小川 正孝(1865-1930)

今回、新元素への命名権を日本で初めて得ましたが、実は命名したのは初めてではありません。それは小川正孝(1865-1930)によるニッポニウムの研究です。1908年、小川は原子量が約100の43番元素を精製・分離したと主張し、ニッポニウムとして発表しました。しかし他の誰も結果を再現できず、その信頼性は揺らいでいきます。それから29年後の1937年、エミリオ・セグレが米国の加速器を使って43番元素を作り出しました。ニッポニウムは幻となり、43番元素は1947年にテクネチウム(Tc)と命名されたのです。実はこのテクネチウムに安定元素は存在せず、小川の方法では見つかるはずがなかったのです。では小川は全く間違っていたのでしょうか?小川の死後、研究資料を詳しく調べると、精製・分離したその物質はテクネチウムと化学的性質が似ている周期表直下の元素、レニウム(Re 原子番号75、1925年に独のワルター・ノダックらが発見)であることが判明しました。小川が1908年に新元素を見つけていたのは事実だったのです。

※出典
・梶雅範, 吉原賢二, "小川正孝─新元素「ニッポニウム」の発見者" サイエンスネット No.19 pp. 2-5 (2003)

仁科 芳雄

仁科 芳雄(1890-1951)

マクミランらが93番元素(ネプツニウム)を発見した1940年には、仁科芳雄(1890-1951)が加速器を用いウラン238から中性子を一つ叩き出す実験を行っています。生成されたウラン237のβ崩壊を観測しましたから、ウランより陽子が一つ多い93番元素が間違いなく生成されていたはずです。残念ながら新元素の化学分離が出来ず、新元素発見には至らなかったのです。一方マクミランらはウラン238に中性子を1つくっつける実験を行いました。作られるウラン239はやはりβ崩壊し93番元素を生成します。彼らはこの新元素の化学分離に成功し、世界初の超ウラン元素を発見したのです。彼らはこの新元素の化学分離に成功しネプツニウムと命名しました。マクミランはこの発見の功績により1951年にノーベル化学賞を受賞しています。

※出典
・梶雅範, 吉原賢二, "小川正孝─新元素「ニッポニウム」の発見者" サイエンスネット No.19 pp. 2-5 (2003)
・池田 長生 "ウラン-237 と対称核分裂の発見" 仁科芳雄博士生誕120周年記念講演会講演録 P.40 仁科記念財団冊子NKZ-52 (2011.3)

命名権はどのようにして得られる?

さて、元素の名前はどのように決まるのでしょうか。まずは研究グループが新元素発見を主張する論文を発表。その後、「国際純正・応用化学連合(IUPAC:International Union of Pure and Applied Chemistry)」と「国際純粋・応用物理学連合(IUPAP:International Union of Pure and Applied Physics)」が推薦する有識者で構成された合同作業部会「JWP:Joint Working Party」 がその論文の実験結果の信頼性を審議します。JWPはその審議内容を記した報告書(論文)をIUPACに提出、報告書に問題がないと判断された場合、IUPACが新元素を発見した研究グループを認定するとともに、新元素の命名権を同グループに与えます。

「ニッポニウム」はもう使えない!?
─元素命名に関するルール

元素の命名については以下のようなIUPACの定めたルールがあります。

IUPACの命名に関するドキュメントへのリンク(PDF)

その中の "3. CHOICE OF NAMES FOR NEW ELEMENTS" の一部を簡単に訳すと以下の通りになります。

3.新元素の名前の選び方 伝統に従い、元素の名前は以下のようにつける:

神話の構想または人物(天体も含む)
鉱物または類似物質
場所または地理的領域
元素の性質
科学者

ですから、社名、組織名は不可です。つまり、「リケニウム」は不可。

また、以下のような補足があります。

正式でなくとも一度付けられた名前は混乱を避けるため使う事は出来ない。

従って、かつて43番元素に対して一旦付けられた「ニッポニウム」は使えません。

そして、あともう一つ、

末尾に「-ium」と付ける。

参考:“元素学たん”のTwitterより